子どものように

勝原洋子主事(マタイ18:1-14)

空の鳥をごらん-9/21
☆13日、津山教会で神学校後援会主催の講演会が開かれました。50名ほどの参加者があり、鳥取からも9名が参加しました。
 主題は「女性クリスチャンの賜物生かし方」
 講師は、上田富久子先生(フェローシップディコンリー教団議長、東京小竹向原教会牧師)
 上田先生は25年前に東京練馬区で米国人シスターと共に開拓伝道を始められ、現在は百名をこえる教会に成長しています。
 7年前に全身麻痺の病気にかかられましたが、癒され、元気で奉仕を続けておられます。
 教会では、基本的な教育がていねいに行われ、ひとりひとりの個性を尊重しつつ、それぞれの賜物が主に用いられるような教育システムができています。
 奉仕の登録の中には「礼拝後のゴミ出し」というのもあり、こまやかな配慮を感じました。

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ひたむきな信仰

空の鳥をごらん-9/7

☆越川弘英先生の5回にわたる公開講座が終わりました。
 お名前のとおり、時代や地域を越えた弘く深い英知をもって語られる、「今、礼拝を考える」講座でした。 
 今回は、「神の民のわざとしての礼拝」という主題でした。
 「礼拝は教会の活動が目指す頂点であり、同時に教会のあらゆる力が流れ出る泉である。礼拝自身は、『復活の恵み』に満たされた信者が、『愛によって一つの心に結ばれる』ように励まし、『信仰によって知ったことを、生活において保つ』ように祈る。」
 礼拝の準備から後始末まで、できるだけ多くの人が関わり、分担し、協力し合いながら、「神の民のわざ」として礼拝をささげることの大切さを学びました。
 「みんなでできることをひとりでする必要はないじゃないですか」

 役割を分担し、練習をし、準備をし、みんなで礼拝をささげましょう。

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主イエスに用いていただく恵み

それをここに持って来なさい(マタイ14:13~21)

 「パンと魚の奇跡」は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書すべてに記録されています。4つの福音書に記録されている奇跡は、パンの奇跡と、主の復活の奇跡だけです。主の復活とともに、5千人の養いの奇跡は、弟子たちと人々に大きな衝撃を与えたのでしょう。
 「5つのパンと2匹の魚」で「どのようにして」5千人が満腹できたのか、てがかりはありません。

 ただ、5つのパンと2匹の魚を「ここに持って来なさい」と言われ「天を仰いで賛美の祈りを唱え、弟子たちにお与えになった」だけです。

 イエス様は今も、才能や力の限界に悩み、貧しさを恐れる私たちに「それをここに持って来なさい」と言われます。そして、祝福し賛美の祈りを唱え、用いてくださいます。
 イエス様は、私たちの平凡で小さな賜物を用いて多くの人々を養い、私たちが地上の歩みを終えるとき、復活のいのち、新しいいのちに招き入れてくださいます。

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何を求めて生きるのですか

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空の鳥をごらん-8/10

云ふまいと思へど今日の暑さ哉(詠み人知らず)

☆立秋が過ぎて、しゃんしゃん踊り、花火大会など、夏の終わりのエネルギー放出の行事が続きます。甲子園では高校野球が、北京ではオリンピックが若者たちの鍛え抜かれた技と精神の美しさを見せてくれます。

 サッカーでは、男女ともに、アメリカと対戦します。67年前の12月から63年前の8月まで、日米の若者たちが武器を取り、いのちがけで戦ったことを思うと、スポーツで競い合い、勝っても負けても友情をつちかうことのできる「平和・シャローム」のありがたさを痛感します。

 人間は、とくに男たちは「戦争が好き」という本能があるそうです。米国は、戦後の日本を骨抜きにするために3S「スポーツ・セックス・ショウ」を奨励した、と言われています。若者たちが武器を持つことなく、スポーツや音楽や芸術を楽しみ、男女が健全に愛し合うことができる「平和な時代」を永続させる努力をおしんではなりません。

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来る・休む・学ぶ。仕える

主イエスのもとへ
(マタイ11:28)
ハレスビー

 真剣に求める魂は、自分のきよさについていつも疑問をもち、自分をあざむいているのではないかとおそれることがしばしばです。「私は進歩しないのに神の恵みのうちに安んじることができるだろうか。進歩しないということは恵みに反対して罪を犯しているのではなかろうか。私の日常の信仰生活はさばきの積み重ねではなかろうか」。このような場合は、静かにイエスのみことばに従うのです。危険はまったくありません。
 イエスは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と招いておられます。しかも「だれでも」です。もし、少しもよくならないままで、毎日、イエスのもとに行き、休みを得ることができると考えるならば、それは間違っています。そのようなことは不可能です。反対に、もし毎日の信仰生活で、成長も進歩もないならば、それはキリストのところに行き、休みをいただいていないからです。罪のゆるしをいただき、神の惜しみのない恵みによってのみ、聖化の道の進歩があります。毎日キリストのみもとに行き、罪を告白し、罪のゆるしを得る信仰者は、必ず成長し、進歩します。
 主の招きのこのみことばを聞いて従うところにすべての奥義があります。どこでもいつでも解決の唯一の手段です。

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キリストの弟子として生きる

耳を傾けて聞く
(マタイ9:36~39) ハレスビー

 弱り果て、打ちひしがれている人たちに、深く心が動かされておられるイエスの姿は感動的です。そして深い同情心をもったイエスは自分のそばにいた弟子たちの方を向いて語りかけられました。
 イエスの弟子であるからといって、すべてこのような語りかけを好むとは限りません。彼らはもっと建徳的で、神のいつくしみをたたえるような話を聞きたいと考えます。
 「あなたはあの人が病気であることを聞きませんか。あの女性が困っているのを聞きませんか。あの人を助けるための助け手がまだ見つかっていないことを聞きませんか。あの働きのためにもう少し資金が不足していることを耳にしませんか。」
 このような質問がイエスからなされる時、多くの人々は聞く耳を持とうとしません。
 しかし一方では、イエスが誰かの困っていることと、そのための助けについて語られるとき、喜んで聞く人がいます。彼らは静かに耳を傾けて聞くのです。
 彼らは、自分たちがまず自分のことを一番に考え、他人の悩みについては忘れやすいことを知っています。ところがイエスが話し始めると、イエスが見られた人々の悩みがどこにあるのか判り、もう一度喜んで、収穫の畑に出かけるのです。

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魂の渇きをうるおす生きた水

聖霊降臨~聖霊の教会
(使徒2:4 ルターの説教)

 この喜ばしい聖霊降臨日に、私たちは、主がこの地上にあらわしてくださった限りないあわれみを祝いつつ、主なる神に感謝をささげます。そのあわれみのうちに、主は天から私たちみじめな人間に、聖なるみことばと啓示を示してくださいました。それは明らかに一般的な言語ではなく、モーセの律法と比べても全く異質なことばでした。
 この日、キリストの御国は使徒たちを通して始められ、福音宣教によって全世界に明らかにされました。もちろん、キリストはご自身のうちに永遠の昔からその御国を保存しておられました。しかし今やこの聖霊降臨日に、聖霊によって使徒たちを通して明らかにされたのでした。そしてこのメッセージは、以前、愚かさと恐怖ゆえにキリストを否認し、捨てて逃げた、かの漁師たち、すなわち使徒たちに対して勇気と大胆さと喜びを提供したのでした。
 今日もこの聖霊降臨日に、私たちは喜びと祝福に満ちた尊いキリストの御国を祝います。この御国は喜びと信頼と勇気に満ちているのです。

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朽ちない生きた言葉によって

(Iペトロ1:13~25)

1.クリスチャン生活の目標は「召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となる」ことです。目的地や目標点のない旅は、さすらいの旅になります。放浪であり流浪の旅です。進学や就職などの目標をめざして若者は努力をします。職場では、会社の目標達成のために汗をながします。でも、多くの人は人生の目的を持たないまま「先祖伝来のむなしい生活」を続けてしまいます。

2.クリスチャンは、「この地上に仮住まいする」者として、人生の旅をします。「きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血」によって無目的の生活から贖われ、「信仰と希望」を持って、地上を旅します。

3.神様は、地上でのさまざまな経験をとおして、クリスチャンを鍛え、きよめてくださいます。自分の生活を「神の朽ちない種、神の変わることのない生きた言葉」によって整えていくと目的地は近づくのです。

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キリストと共に復活する

復活の力は人格を造り変える
(コロサイ3:1~4)

復活の力は、私たちの人格をも造り変えます。あなたは、自分のどんな部分を変えたいと思っておられますか。また、どうやってそれに取り組んでいくのでしょうか。あなたのまわりの人(配偶者・家族・友人)はあなたがどのように変わることを願っていますか、といった方がいいかもしれません。

ある女性は「夫があまりにも「気分屋」である」と言いました。「気分」が9割を占めていて「思考」の部分は1割にも満たないというのです。また、ある夫は結婚カウンセリングに行き、妻と離婚したいと牧師に告げました。そこで牧師は、良い時も悪い時も妻を受け入れると神の前で約束した、あの結婚の誓いを思い出すように励ましました。するとその夫は言ったそうです。「ええ、確かに約束しました。でも私の妻には、悪い時と、非常に悪い時しかないのです」。

「私は(・・)な人だから」。このカッコにどんな言葉が入るでしょうか。「私はいつも遅刻する人だから」「私はへまをする人だから」「切れやすいから、落ち込みやすいから」。このように、私たちは、もし変えられるものなら、自分の性格のどの部分を変えたいかを十分に知っているのです。(リック・ウォレン)

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«自分の命を献げるために来た人